「偶然」ではなく『必然』かも

今日は、いつもより感覚が研ぎ澄まさていると思えることが三つありました。
  1. 府議会議員選挙投票所で父の姉と同姓同名の人と会う
  2. 勤めている会社の営業車とすれ違う
  3. 買い物ついでの休憩で立ち寄った公園で、ベンチに置いたコーヒーに手を伸ばした時に、風に吹かれて落ちてきた、桜の花びらが手首にのる
三つとも単なる偶然と言えばそれまでなのですが、周囲の状況に敏感になっている、言葉を変えると、感覚が鋭敏化しているから気づけた、あるいはそのように感じたものと思います。

この状態を以前読んだ小説の表現を借用して(特にスピリチャルなものではありませんが)「クリスタルの刻(とき)」と呼びたいと思います。
実はこの感覚があるときは、ヒラメキが起こることが多く、かかえている課題の解決法や願望達成のためのヒントを思いつくこともしばしばあるのです。
ここのところ、いろいろあって身心ともにかなり磨耗する状態でしたが、今回もそれから抜け出すヒントを見つけることができました。
悪条件・悪状況こそが自分を伸ばす最短距離。 死ぬこと以外はカスリ傷と考えよ
自衛隊の仕事術 こう書房」からの引用です。
今回のヒントもまだ仮説にすぎませんが、リスクを恐れず、ただし無謀にならず、冷静に状況を観察しながら、早速実践してみます。
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