スロージョギングの瞑想的メリット

二週間ぶりにスロージョギングしてきました。

走った距離は15kmです。気温も24°Cととても走りやすい温度です。

息切れせずに楽に呼吸できる速度で、正しいフォームを維持して走り続けますと、目を開けながら『瞑想』を行っているような感じになります。たとえば、

1)五感が鋭くなる

意識しているわけではないのですが、周囲のちょっとした変化(動き)はもちろん、脚や腕や胸の筋肉にかかる微妙な負荷など、普段は感じ取れないことが、手に取るようにわかるようになります。

2)アイデアがどんどん浮かぶ

走るのが楽しみになっている最大の理由の一つがこれです。

普段から問題として意識していることの解決法だけでなく、目の前に起こった出来事から他のことにも応用できる教訓やヒントなどを思いつきやすくなります。

後者について、実例を二つあげます。

一つめは、河川敷を走っている途中の出来事です。目の前を蝶か何か他の虫の幼虫が横切りました。踏み潰さないようにその虫を避けて通り過ぎた直後、背後で鳥の羽ばたく音が聞こえ、振り返ってみますと、カラスがその幼虫をついばんで、飛び去るところでした。それを見て感じた『教訓』は

「目立ち過ぎると、外敵に襲われやすくなる」

というものでした。

「出る杭は打たれる」という言葉もあるように、目立ったり、有名になると、それを快く思わない現行勢力による圧力や批判者による根拠のない風評などにより、「潰される」ことが少なくありません。

「それを防ぐためにはどうすればいいのか?」と考えを巡らせていると、少し前に見た、草に同化したような色のバッタが跳ぶのを見て、

「周囲に溶け込みながらも、力を発揮するタイミングをはかる」などを思いつきました。

具体的な実践法については、別の機会に報告させていただきます。

もう一つの出来事は、曇り空の雲の隙間から、太陽の光が一箇所スポットライトを当てているかのような光景に出くわした時のことです。神々しいとも言えるそのシーンに見惚れていますと、その方向から現れたて、すれ違った女性が、女優クラス、いや天使のような整った顔立ちの美しい方で驚きました。 全くの偶然と言えば、そこまでなのですが、その時思ったのは、「現れるべき人は、ふさわしい場所に現れる」という仮説です。

同じ志や目的を持った人と会うにはそれにふさわしい場所があるはずと考えました。それは実際の実践の場かもしれませんし、SNSなどのネットの場かもしれません。「どれが正解でどれが間違いという二者択一的な考え方はせずに、両方の長所短所を理解した上で、その時その時に使えるものを使い分ければ、いいのでは?」

などと走りながら、いまゆる『雑念』とは違う、いろいろと考えを巡らせるのでした。

これからも、この『ランニング メディテーション』はクセになりそうです(笑)

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